George Clinton ジョージ・クリントン
Founder of P-Funk / Parliament-Funkadelic

ジョージ・クリントンは、パーラメント(Parliament)とファンカデリック(Funkadelic)の2つのバンドを率い、1970年代のR&Bシーンに革命を起こしたPファンク(P-Funk)の創始者・リーダーです。
ソウルを基盤に、ジミ・ヘンドリックス、フランク・ザッパ、スライ・ストーンなどの音楽的要素を融合。「ファンクはジャンルではなく、ひとつの乗物(Vehicle)である」という思想のもと、ファンクという音楽の概念そのものを拡張し、ブラック・ミュージックの歴史を大きく塗り替えました。
その革新性は音楽だけにとどまりません。
SF、サイケデリア、アフロフューチャリズム、奇抜なファッション、ユーモア、社会風刺、そして宇宙船「Mothership」に象徴される壮大なステージ演出までをひとつの世界観として構築。
P-Funkを単なるバンドではなく、音楽、ビジュアル、キャラクター、ストーリー、ライブパフォーマンスを融合した巨大なカルチャーへと発展させました。
ブーツィー・コリンズ(Bootsy Collins)、バーニー・ウォーレル(Bernie Worrell)、エディ・ヘイゼル(Eddie Hazel)をはじめ、数多くの卓越したミュージシャンがその世界に参加。P-Funkはジェームス・ブラウンらが切り拓いたファンクの系譜を受け継ぎながら、ロック、サイケデリア、ゴスペル、ソウル、ポップスなどを横断する独自の音楽宇宙を築き上げました。
その影響はファンクというジャンルを超え、ヒップホップ、Gファンク、R&B、ロック、ポップ・ミュージックへと波及。P-Funkのサウンドは後世のアーティストたちによって数多くサンプリングされ、現代のブラック・ミュージックを形成する重要なDNAのひとつとなっています。
主な歴史とタイムライン
1955年|プレインフィールド時代
ニュージャージー州プレインフィールドの理髪店で働きながら、ドゥーワップ・グループ、ザ・パーラメンツ(The Parliaments)を結成。
ドゥーワップを出発点としながら、ソウル、ロック、サイケデリック・ミュージックなど幅広い音楽を吸収し、後のP-Funkにつながる音楽的基盤を形成していきます。
1967年|『(I Wanna) Testify』のヒット
Revilot Recordsからリリースしたシングル『(I Wanna) Testify』がヒット。
その後、レーベルをめぐる契約上の問題から「The Parliaments」の名称を一時使用できなくなり、バック・ミュージシャンを中心としたFunkadelic名義へと活動を発展させます。
ここから、従来のドゥーワップ/ソウルの枠を大きく超えた、より自由で実験的な音楽への転換が始まります。
1970年代|二つのバンド、一つの思想
「Parliament」の名称を再び使用できるようになると、Funkadelicと並行して2つのバンド名義で活動を展開。
Funkadelicではサイケデリック・ロックやギターを大胆に取り入れ、Parliamentではホーン、シンセサイザー、ヴォーカル・アンサンブルと強烈なグルーヴを前面に押し出しました。
二つの異なるバンド名を持ちながら、その中核にあるミュージシャンと創造思想は共通しており、巨大な音楽集団「Parliament-Funkadelic=P-Funk」として認識されるようになります。
『Mothership Connection』『The Clones of Dr. Funkenstein』『Funkentelechy vs. the Placebo Syndrome』など、後世の音楽に大きな影響を与える作品を次々と発表。
音楽、舞台美術、キャラクター、ストーリーを一体化したP-Funk独自の世界観を完成させていきました。
1978年|『One Nation Under A Groove』
Funkadelic名義の『One Nation Under A Groove』がR&Bチャートで6週連続1位を記録。
同作品とParliamentの『Funkentelechy vs. the Placebo Syndrome』はプラチナ認定を獲得しました。
この時代のP-Funkは、巨大な宇宙船「Mothership」がステージに降臨する大規模なライブ演出でも知られ、ファンクのコンサートを一大スペクタクルへと進化させました。
1979年|『(Not Just) Knee Deep』
Funkadelicの『(Not Just) Knee Deep』がR&Bチャート1位を獲得。
アルバム『Uncle Jam Wants You』もプラチナ認定され、P-Funkは音楽面だけでなくライブ・エンターテインメントの規模においても絶頂期を迎えます。
1982年|ソロ活動と『Atomic Dog』
George Clinton名義でソロ・アルバム『Computer Games』を発表。
シングル『Atomic Dog』はBillboard R&Bチャートで4週連続1位を獲得しました。
『Atomic Dog』はその後のヒップホップ、特にGファンクの世代に繰り返し引用・サンプリングされ、P-FunkのDNAを次世代へ伝える象徴的な作品となります。
1980年代|新世代への継承
プロデューサーとしても活動を広げ、Red Hot Chili Peppersのアルバム『Freaky Styley』をプロデュース。
ファンクとロックをつなぐ存在として、新しい世代のミュージシャンにも大きな影響を与えていきました。
1990年代|サンプリング・エラ
ドクター・ドレー(Dr. Dre)、スヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)、デジタル・アンダーグラウンド(Digital Underground)、ウォーレンG(Warren G)をはじめ、多くのヒップホップ・アーティストがP-Funkの楽曲を引用・サンプリング。
P-Funkのベースライン、シンセサイザー、リズム、ヴォーカル、グルーヴは、1990年代のウェストコースト・ヒップホップ、特にGファンクを形成する重要な音楽的基盤となりました。
1970年代に生まれたP-Funkは、サンプリング文化によって新しい世代に再発見され、ヒップホップ時代に再び巨大な存在感を示します。
1997年|ロックの殿堂入り
George ClintonをはじめとするParliament-Funkadelicのメンバー16名が「Rock & Roll Hall of Fame(ロックの殿堂)」入り。
殿堂入りのプレゼンターを務めたのは、P-Funkから大きな影響を受けたPrinceでした。
ファンクだけではなく、ロックを含む現代ポピュラー音楽全体にP-Funkが与えた影響を象徴する出来事となりました。
2012年|バークリー音楽大学 名誉博士号
バークリー音楽大学(Berklee College of Music)から名誉音楽博士号(Honorary Doctorate of Music)を授与。
P-Funkを象徴するGeorge Clintonの長年の呼称「Dr. Funkenstein」と、本物の「Doctor」の称号が重なる象徴的な出来事となりました。
2019年|グラミー生涯功労賞
George Clinton & Parliament-Funkadelicとして、Recording AcademyからGRAMMY Lifetime Achievement Award(グラミー生涯功労賞)を受賞。
半世紀以上にわたってファンク、ヒップホップ、R&B、ロックをはじめとする世界の音楽文化に与えてきた功績が、改めて公式に評価されました。
主な実績・記録
R&Bヒットシングル
40曲以上
R&Bチャート第1位
3曲
プラチナ・アルバム
3作品
Rock & Roll Hall of Fame
1997年、Parliament-Funkadelicの16名のメンバーとともに殿堂入り
Berklee College of Music
2012年、名誉音楽博士号
GRAMMY Lifetime Achievement Award
2019年、George Clinton & Parliament-Funkadelicとして受賞
その他の評価・受賞
GRAMMY、MTV、BMI、NAACP Image Awardsなど、多方面からその功績を評価されています。
P-Funkのレガシー
ジョージ・クリントンが生み出したP-Funkは、1970年代の一時代を象徴する音楽にとどまりません。
ParliamentとFunkadelicによって構築されたサウンド、ステージ、思想、キャラクター、ビジュアル、ユーモア、そして自由な創造精神は世代を越えて継承され、ヒップホップをはじめとする現代音楽の重要なDNAとなりました。
ドゥーワップから出発し、ソウル、ロック、サイケデリアを吸収しながらファンクを拡張し、その音楽がサンプリングによってヒップホップへと受け継がれていく——。
George Clintonは単に「ファンクを演奏したアーティスト」ではなく、ファンクという表現の可能性そのものを拡張し、後に続く世代が新しい音楽を築くための巨大な文化的基盤を生み出したクリエイターです。
その音楽と思想、そしてP-FunkのDNAは、半世紀を超えた現在も、世界中のアーティスト、プロデューサー、ミュージシャンへと受け継がれ続けています。