プロデューサー
J-FUNK PRODUCER
真野倖富美(まの ふみ)氏 プロフィール
- 氏名
- 真野 倖富美(まの ふみ) 本名/水野 富美(みずの ふみ)
- 生年・出身
- 1963年生まれ、大阪市福島区出身
- 現在の肩書き
- 株式会社J-Funk ZEN enterprise 創設出資者・取締役社長
- 専門領域
- ボーカルプロデュース、人材開発、アーティストマネジメント
https://jfunkrecords.com/
生い立ち
- 2歳のとき、父のDVから逃れるため母が本人を連れて家を出る。4歳からは広島市で母との二人暮らしが始まる
- 4歳よりピアノを始める
- 小学生では、男子のチームを、率いるスポーツ万能なリーダー的存在だった。
- 毎年原爆投下日近くなると「原爆週間」と言う1週間原爆教育をする生々しい授業で原爆の恐ろしさを実感する。小学校4年生から受験勉強のために毎日塾に通うがが、国立市立の名門中学校受験に失敗する。
- 15歳(中学3年2学期)で広島市から福岡へ転校。祖母の末期がん看病・母の新規事業開業・高校受験が重なり第一志望に不合格、筑紫女学園へ進学
- 高校時代は反抗的な一面もあったが仏教に深く傾倒し、仏教委員長を2期務める。仏教の成績は2年連続で学年トップ
- 支えとなった3本柱:ジャズをはじめとするブラックミュージック、仏教、武道(ブルース・リー、ジャッキー・チェン)
音楽キャリアの出発
- 高校2年(17歳)より、福岡市天神のレストランでプロのピアニストとして活動を開始。高校卒業後もプロ活動を継続
- 1982年、KAWAI音楽講師免許を19歳で取得
- 1983年、20歳で東京へ移住。ピアノ講師を務めるかたわら、レストラン・ラウンジでピアニストとして活動
- キーボードマガジンへの掲載がきっかけで真田広之のバックバンドオーディションに合格。専属ツアーミュージシャンとして帯同する(年上でありながら真田広之が最初の弟子となる)
- ジャパンアクションクラブ(千葉真一プロダクション)新人俳優13名のボイストレーナーに20歳で抜擢。各プロダクションの新人歌手指導も担当
- 1986年、キャピトル東急ホテルに史上最年少ピアニストとしてレギュラー出演。都内各ホテルでも演奏活動を行う
- 1987年、キャピトル東急ホテルにてジョージ・クリントン氏と初めて出会う(後のJ-FUNKプロジェクトの原点)
ニューヨーク留学
- 1990年、27歳で渡米。ビジネス英語・ミュージックビジネス・メディアジャーナリズムを学ぶためにThe Bernard M. Baruch College, City University of New York へ留学(ESLコースはA−評)
- しかし母の膵臓がんが判明し、1991年に帰国
母の闘病(1991年~2003年)
- 帰国時、母の膵臓がんはすでに末期だった。医師全員から余命半年〜3ヶ月と宣告される
- 抗がん剤治療を拒否し、食事療法・民間療法・気功・免疫療法によって支える
- 母を自立へと導き、奇跡的に約13年間の延命を実現(臨床データ上、膵臓がんの最長延命は5年とされる)
- この闘病を支えながら、福岡で音楽キャリアを再構築していくことになる
ワールドミュージックアカデミーの設立・経営(1993年〜2011年)
- 1992年、日本音楽学院天神校の学院長に就任(福岡)。給料未払いを機に母の後押しにより独立を決意
- 1993年、「日本のホイットニー・ヒューストン」を輩出すべく、ワールドミュージックアカデミーを設立。学院長兼オーナーに就任
- 論理的かつ実践的なプロ育成のための音楽教育法を独自に開発し、1998年に法人化
- 1993年より株式会社ワールドアカデミーエンタープライズ 代表取締役プロデューサーとして、新聞・雑誌に多数取材される
- 事業領域:音楽学院の経営、アーティストの新人開発・ボーカルプロデュース、ミュージシャン派遣、イベント/レコーディングの企画・制作、海外アーティストのエージェント業務、アーティスト契約、衣料品・小物の販売
- MISIAの育成者として知られ、地元紙などでも「魂の歌声を育てたい」と特集される
- バックストリート・ボーイズ/ブリトニー・スピアーズのプロデューサー、ダグラス・カー氏とスウェーデンでレコーディングを行う
- 一方で、有名プロデューサー関係者の妨害を受け、有名プロダクションとの契約破談、スクール所属アーティストのスパイ引き抜被害、不利な三者契約など、業界内で複数の裏切りを受け「生き馬の目をくり抜く業界」を身をもって経験する
- 2002年、九州情報大学 経営情報学部を卒業。同年、九州大学大学院 芸術工学府の研究生となる
- 卒業生や部下が業界に波及させた経済効果は、累計2,000億円にのぼるとされる
参考動画:World Music Academy(https://vimeo.com/750288979)
母の逝去と仏道修行
- 2003年、母が逝去
- 深い後悔から、東長寺で大阿闍梨と共に早朝勤行(毎朝4時〜6時)を半年間継続
- 安国寺専門僧堂・承天禅寺などで接心・座禅修行にも毎日励む
- この時期の修行体験が、後のJ-FUNK構想における「禅」の思想的支柱となる
結婚と不妊治療の開始
- 母の逝去を機に結婚。相手は経済学者であり禅宗僧侶でもある人物
- 母になることを強く望み、結婚を機に音楽活動を停止して不妊治療に専念する
- 人工授精30回・体外受精30回を計11年間にわたり継続。海外での卵子提供・代理母出産にも挑戦
- 総額約1,500万円を投じるも、子を授かることはなかった
福島と福岡の二重生活
- 夫の勤務先が福島大学であったため、福岡の会社経営と福島での生活を並行させる二重生活が続く
- 不妊治療と経営の両立、そして遠距離での家庭生活という三重の負担を抱えることとなる
- 家庭を優先させるため、会社の移転計画を検討し始める
ワールドミュージックアカデミー閉鎖(スタッフ横領発覚)
- 学院スタッフによる横領が発覚
- 2011年1月、18年にわたり運営してきたワールドミュージックアカデミーおよび福岡の会社を閉鎖
- 福岡を拠点とした音楽事業に、一つの区切りがつくこととなる
福島へ移転
- 2011年2月、夫の勤務先である福島大学の所在地・福島市へ住民票を移す
- 福島を新たな拠点として事業の再開を計画していた
3.11東日本大震災・福島第一原発事故
- 移転からわずか1ヶ月後の2011年3月11日、東日本大震災が発生
- タワーマンション20階で被災。続く福島第一原発事故により、生活基盤を根底から失う
- 福島での事業を再開させる間もなく、夫の強い要望により単身で各地を回る避難生活に入る
- 避難生活を送りながらも、被災地の支援活動に携わり続けた(2011年〜2013年)
避難生活の中での不妊治療の継続と、最後の妊娠
- 被災・避難という極限状況のなかでも、母になる願いを諦めず不妊治療を継続
- インドでの体外受精に臨む
- 帰路の機内でお腹に異変が生じ、香港で緊急降機。妊娠と診断されるが、子宮外妊娠の可能性により帰国後に摘出手術を受ける
- 48歳これが最後の妊娠となり、体外受精を続けるも、51歳で10年にわたる不妊治療に幕が下りる
被災地支援と学び直し
- 2015年1月、ふくしま地域創生センターを設立(福島)
- 2015年10月、カナダ・バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学(UBC)へ留学
- 2016年3月、UBCおよびシカゴ大学にて「福島の小学生オーケストラ」のプレゼンテーションに成功。多数のカナダ人・アメリカ人支持者を得て全米ツアー公演の依頼にこぎつけたが、テロ情勢を懸念した福島の学校側が海外遠征を断念
- 2016年3月に帰国。2017年3月、一般社団法人 福島オーケストラ支援センター(FCO)を設立し代表理事に着任。英才教育やアーティストの新人開発プロデュース、マネジメントを再開
- ライオンズクラブに入会し国際協会の役員を歴任。福島の子供オーケストラを東京ライオンズクラブ65周年式典に招くプロジェクトを主導③ FCO (Fukushima Children’s OrchestraSupportCenter)
- https://youtu.be/-_vAaJNAF4A
- 2019年3月、東京工業大学 社会人アカデミー MOT(マネジメント・オブ・テクノロジー)学位課程を修了
参考動画:FCO / Fukushima Children’s Orchestra Support Center(https://youtu.be/-_vAaJNAF4A)
再起(2019年〜)
- 障害者認定、7年間寝たきり生活といった苦難に見舞われる。
- 2019年4月30日、ビルボードライブ東京にてジョージ・クリントン氏と再会。初対面から30年余りを経て「フミ」と呼ばれる関係が復活する
- 2023年12月19日、股関節の大手術(骨関節臼蓋不全)を受け、奇跡的に歩行が可能になるまで回復。60歳。
- 2024年9月、Georgeクリントン氏のブルーノート・ジャズフェスティバルでの再会を機に、J-Funk Samurai Zen Project が始動(和太鼓とファンクの融合)
- 2024年11月、ジョージ・クリントン氏のハリウッド自伝映画の制作が決定
- 2025年4-5月、7ー8月のGeorge Clinton氏率いるP-Funkと全米ツアー同行
- 2025年8月Georgeクリントン氏のスタジオにて、グランドピアノによる演奏とスポークンワーズがレコーディングされる
- 2024年9月J-Funk構想発足以来、約300通に及ぶメールでのやり取りを経て、2026年5月14日に正式契約が成立

現在のビジョンと事業
- 現職:株式会社J-Funk ZEN enterprise 創設出資者・取締役社長として、J-FUNKブランドを展開
- 「人種、年齢、性別、時代を超えた一流の技術と感動の提供」を第一の理念に上げ、music is to listen.に掲げ、日本の音楽業界におけるビジュアル・カラオケ偏重の風潮に一石を投じる
- J-FUNKを通じ、東西の思想・音楽の融合、自然との共存、日本文化(禅・無我の精神)の世界発信を目指す
- オーディション×ファンコミュニティ型のビジネスモデル、漫画・アニメ・ゲームを活用した若年層への普及戦略を構想中
- 新レーベルおよび新法人の設立準備を進行中
門下生・輩出アーティスト
ワールドミュージックアカデミーおよび関連事業からは、以下をはじめとする多数のアーティスト・プロデューサーが輩出されている。
【代表的な俳優・アーティスト】
- 真田広之/MISIA/井手真理子/椎名順平/AYANO(トイズレコード)/TWILL(ゾンバレコード・ヨーロッパレコーディング)/The Soul/はらだなつみ(アメリカレコーディング)/Mye ほか多数
MISIAはNHK紅白歌合戦の大トリに2年連続で抜擢され、東京オリンピックにおいては天皇陛下の御前で日本を代表して国歌を独唱するなど、国内外で知名度を高めている。
【代表的なミリオンセラープロデューサー】
- ヤナギマン/新谷豊/西尾芳彦 ほか多数
学歴・資格
- 1982年 KAWAI音楽講師免許を19歳で取得
- 1990年 The Bernard M. Baruch College of the City University of New York 留学
- 2002年 九州情報大学 経営情報学部 卒業
- 2002年 九州大学大学院 芸術工学府 研究生(前・九州芸術工科大学大学院)
- 2016年 The University of British Columbia 留学
- 2019年 東京工業大学 社会人アカデミー MOT【マネジメント・オブ・テクノロジー】学位課程 修了
略年表
みなさんへ、お伝えしたい事。私の想い
〜日本のタマゴ達へ〜
古今東西、今昔、アート(芸術)とは苦しみの中から生まれてきました。苦しみを、喜びに変えるため、強い祈りの気持ちで、人類は文化を作ってきました。苦しみ、怒りは、喜びの始まりです。
人より、より多くの苦しみを知るものは、人よりも優しくなれて、また、人を感動させ、涙を誘う力を持っています。日本の子どもたちは、その力と魂を持っているはずです。
いま、示そう、苦しみを喜びに変え、世界に感動の嵐を巻き起こすのです。日本のタマゴたち、早く孵化して大空へ羽ばたいてください。その為に、私たちが示さねばなりません。真実とは何か?本物とは何か?皆さんどうぞ、ご協力下さい。よろしくお願いいたします。
J-Funk Samurai Zen Project を創設するにあたり
私は、GEORGE CLINTONさん率いるP-Funkファミリーの皆さんとともに、日本とアメリカの東西思想と音楽の融合を通して、宇宙の中の地球と言う惑星での人類の自然との共存、繁栄、発展、平和のために、愛と慈悲をもって人生を捧げたいと思っています。
この時代、テクノロジーは重要ですが、最も重要なのは人間自身です。時代、歴史、東西を問わず、変わらないものが1つあります。それは祈りの精神です。私たちはそれを「J-Funk」と呼んでいます。
JはJoy、Join、Justice、Junk、Judge、Jesus、Japan…など様々です。それは、あなたがどのようにファンクするかにより、どうあるかが決まるのです!! 皆さんどうぞ、一緒にFunkしましょう。よろしくお願いいたします。